飛騨牛とは?

飛米牛の子どもたちになります。

 

(以下の説明は、飛騨牛銘柄促進協議会のサイトより)

肉質はきめ細やかでやわらかく、美しい霜降りと口のなかでとろける芳醇な香りと味わい。山紫水明と謳われる岐阜県の豊かな自然で育てられ、優れた技術をもつ生産者たちの手によって安全・安心にこだわり愛情深く手間暇かけてつくられた逸品です。

 

飛騨牛の定義

(1)飼養期間が最も長い場所が岐阜県である。

(2)飛騨牛銘柄推進協議会登録農家制度にて認定・登録された生産者により肥育されている。

(3)14ヶ月以上肥育された黒毛和種の肉牛である。

(4)公益社団法人日本食肉格付協会が実施する牛枝肉格付により肉質等級5等級・4等級・3等級と格付けされたものである

これら4つを満たしたことを協議会事務局が確認し、認定したもの。

 

「飛騨牛」と認定した場合には、飛騨牛表示ラベルを交付する。飛騨牛表示ラベルには、肉質等級、生産者住所氏名、個体識別番号、認定日を明記する。

 

 

詳しくは、飛騨牛銘柄推進協議会(規約)

 

 

飛騨牛の里、岐阜県

岐阜県は日本のほぼ中央に位置し、総面積は10,621平方キロメートル、その大地の多くは森林が占めています。北部には3,000メートル級の乗鞍岳や御岳をはじめとする北アルプスの高い山々が連なります。

 

広大な大地、清らかな水、澄み渡った空気、そして季節の寒暖差と昼夜の気温差などの自然の恵みを存分に受け「飛騨牛」はつくられます。

 

 

また岐阜県は世界遺産白川郷をはじめとした観光資源が豊富で日本全国から観光客が訪れます。古い町並み、名高い温泉、濃尾平野を一望できる金華山と岐阜城など、これらを目当てに近年では日本にとどまらず世界中から観光客が訪れます。

 

 

飛騨牛の歴史

岐阜県では昭和20年代、田畑を耕す役割を兼ねた「役牛」として牛を飼育していました。30年代になると、農作業の機械化が進み「役牛」から肉用牛への転換が始まります。40年代には、肉質や増体に注目が集まり肉用としての改良がおこなわれるようになりました。

 

この流れは日本全国で起こり、各県が改良の成果を競う場として和牛のオリンピック「全国和牛能力共進会」(通称:全共)が開催されるようになりました。

 

50年代、岐阜県内にはそれぞれの地域名がついた和牛が飼育されていましたが、統一の機運が高まり、県下総称して「岐阜牛」と呼ばれるようになります。

 

昭和56年、のちに“飛騨牛の父”と呼ばれ、ブランドの立役者となる「安福号」が兵庫県より導入され、その産子が次々と素晴らしい産肉成績を収めます。

 

 

そして統一名称を「岐阜牛」から「飛騨牛」へと変更し銘柄を推進するため、当時「飛騨牛」の商標を取得していた㈱吉田ハムの全面的な協力を得て、昭和63年、飛騨牛銘柄推進協議会が設立されます。 ここから飛騨牛の歴史は始まりました。

 

 

飛騨牛、全国区へ

「飛騨牛」の名を全国的に知らしめたのは、平成14年に岐阜県で開催された第8回全国和牛能力共進会において日本一を獲得したことです。

 

この共進会は5年に一度開催され、国内の優秀な和牛が一堂に会し、優劣を競う大会で「和牛のオリンピック」と呼ばれるほど大きなものです。

 

改良の成果を競う「種牛の部」と肉質を競う「肉牛の部」に分かれており、飛騨牛はそれぞれの部門で名誉賞(内閣総理大臣賞)と最優秀枝肉賞という最高位を獲得しました。

 

 

その5年後に行われた第9回においても飛騨牛は最優秀枝肉賞を獲得し連覇を成し遂げます。

 

 

飛騨牛の現在

近年では近畿東海北陸連合肉牛共進会においても連覇を達成しています。

 

この共進会は松阪牛や神戸牛、近江牛などの名だたるブランド牛を擁する県が参加する大会で、平成24年度・25年度・平成27年度と最優秀枝肉賞(農林水産大臣賞)を受賞しています。

 

「安福」の血を引く「飛騨白清」をはじめ「白清85の3」「花清国」など数多くの種雄牛(父牛)が県内で活躍しており、飛騨牛ブランドの更なる発展に寄与しています。

 

 

また岐阜県は(公社)日本食肉格付協会が実施する牛枝肉格付において最高等級である5等級の発生率が全国平均をはるかに上回っており生産者の肥育技術の高さが際立ちます。